18世紀軟質磁器のセーヴル、その品格と希少性

 昨日5/2にTV東京で放映された「なんでも鑑定団」に、なんと18世紀のセーヴル磁器のカップ&ソーサー20点セットが出品されていました。
 

 この番組で西洋アンティークが出品される割合は、和骨董や中国骨董に比べると低いのですが、それでもときどき、「こんなものを蒐集していた日本人コレクターがいたんだ!」とびっくりする事があります。今回のコレクターもまさしくその1人。
 

 セーヴルは、現在でも国立窯として、エリゼ宮の食卓にも登場する高級磁器窯ですが、現在の、カオリンを用いる硬質磁器を製作する前は、軟質磁器を製作していました。フランスでカオリンが発見されたのは、マイセンより遅れること半世紀以上、それまではカオリンが発見されず、それでも磁器の製作に邁進するフランスでは、ルイ15世の愛妾・ポンパドール夫人によって、ヴァンセンヌ磁器工場をセーヴルへ移転し、王立磁器窯として、磁器の製作を推進していました。
 

 やがてリモージュ郊外でカオリンが発見され、ようやく硬質磁器の製法が解明されてからは、軟質磁器から硬質磁器へと移行、やがて軟質磁器製法はその役目を終えてしまいます。
 

 今回出品されていたのは、18世紀の、軟質磁器で作られたカップ&ソーサーで、18世紀セーヴルはといえば、これは本国フランスでもミュージアム・ピース。パリではルーヴル美術館のお隣にある、装飾美術館にて見ることができます。
 
 
 

 今回のカップ&ソーサー20点は、出品者が1000万円を費やしてのコレクションだということで、評価額1000万円をつけていましたが、さて結果は・・・700万円でした。というのも、中に4点、18世紀セーヴルではない、いわゆる「セーヴル・スタイル」が入っていたからなのです。
 

 スタイル、という言葉は、様式を意味します。つまりセーヴルの様式に沿って作られたもの。19世紀になって、18世紀のさまざまな様式がリバイバルしますから、19世紀につくられたセーヴル・スタイルは存在します。
 

 セーヴルは、ヴァンセンヌ時代から一貫して同じサインが入っており、アルファベットで年代が特定できます。もちろん18世紀セーヴルはその価値も高いので、偽物が存在しているのも事実ですが・・・。
 

 今回の出品作品、ルイ15世の最後の愛人であった、デュ・バリー夫人が愛用していたカップ&ソーサーや、ポンパドール夫人が病気で寝込んでいるときに使用するための、くぼみのあるソーサー付カップなど、鑑定士も「まさかこれが日本で見られるとは、思わなかった」と驚いていらっしゃいましたが、こういうコレクターが日本に存在している、というのは、西洋アンティークを愛する者としては、なんだか嬉しいですね。
 

 TV番組のコメントではないですが、「ぜひ、大切になさってください」!
 


アンティーク・デミタスカップにみるジャポニスム

 3/5(土)に、ジャポニスム振興会東京サロンにて、特別企画『アンティーク・デミタスカップにみるジャポニスム』〜村上和美コレクションで愉しむ茶会〜が開かれました。
 

 アンティーク検定試験の監修を務める、岡部昌幸先生の基調講演、そして村上和美さんのコレクションされているデミタスカップに関しての説明をしていただいた後、好みのカップでコーヒーを頂く、という午後のひとときでした。
 

 村上さんが蒐集されたデミタスカップは1400点を超えているのだそうで、1客ずつ、時代も国も形も違った、愛らしいデミタスカップのコレクションは、国内最大級。今回は、その中でもジャポニスムの影響を受けたカップが、ズラリと会場に並びました。
 
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 こちらは、わたしが頂いたデミタスカップ、コールポート窯のものです。
鮮やかなローズの色と金彩が、とても上品で、こんなカップでコーヒーを頂いていると、春の到来を待ちわびる気持ちになりました。
 
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アンティークになるかならぬか、発酵と腐敗

 古いものには、価値がある・・・と思いたいアンティークの世界ですが、古ければなんでもかんでも価値があるか、と言えば、残念ながらそうでもありません。
 

 工芸品に限って言えば、それでも産業革命以前は、どんなものでも手作りが基本でしたし、稚拙なものであっても、その希少性や、歴史的な観点からの価値は否定できないでしょう。中国からの輸入品であり、垂涎の的であった高価な磁器を真似ようと、見よう見まねで必死で作った染付けの陶器、例えば17世紀、18世紀のデルフト陶器などは、ミュージアム・ピースです。
 

18世紀のデルフト陶器

18世紀のデルフト陶器


  

 そこまでのものでなくとも、たとえば19世紀後半に、当時は大量に作られた雑器、これらはアンティークとしての価値はあるでしょうか?バカラやサン・ルイのような有名メーカーのクリスタルではなく、庶民が使用していたであろう、ガラスのグラス。気泡が入っていて、いびつな形をした、ただのグラス。半手工芸品とも言える、製品です。今現在、このようなものは、状態がよいものでも(チップや欠けがないものでも)比較的安価にアンティーク・ショップで購入できます。
 

 それでは、1960年代の雑貨は、どうでしょう。当時の流行りで作られたもの、おもちゃ、ノベルティ・グッズ。正規に購入しようと思っても、もう売られてはいませんが、ネットオークションなどで、よく出品されています。
 

 さまざまなケースがありますが、例えば食べ物に例えて言うと、古くなって腐敗するものと発酵するものがあります。魚などは鮮度が命、腐った魚など、もちろん食べられません(お腹を壊します)。一方、チーズやワイン、発酵することによって、より旨味を増し、美味しく=価値が高くなります。
 

 工芸品も、同じではないでしょうか。
 素材で必ずしも区別はできませんが、プラスチックやアルミは、時が経てば、一般には産業廃棄物です。古びて、汚くなっていきます。そこには、温かみとか、時代の良さ、といったもので評価が上がるものは、極めて少ないような気がします。もちろん希少性ゆえに、昭和初期のアルミの弁当箱といったものに、アンティークショップでお目にかかる事はありますが、目の飛び出るような値段ということはありません。
 

 ところが、時の経過と共に、風合いを帯びて味わいが出てくる素材というものがあります。
 何気ない雑貨であっても、たとえば集成材でない、無垢の木で作られたレターラックなどは、それなりに古びても愛らしさが残り、アンティークになり得る要素を持っています。
 

フランス、20世紀初頭

フランス、20世紀前半


 

 最近では、家のパーツであるドアやドアノブ、コンセントのソケットなどを、わざと古いアンティーク品の中から選んで、インテリアにオリジナリティをもたせる設計をする人がいます。ドアの金具の、古い鍛鉄でできたものは、ステンレスの軽い工業製品に比べれば使い勝手も悪く、時には構造的に狂うことも出てくるかもしれません。それでも、殺風景なステンレスよりも、味わいという点は、やはり愛らしく、そもそも暮らしのインテリアというものは、利便性や機能性だけでは決して満足できないし、美しくもないのではないでしょうか。
 

 今持っているものが、ゴミとなるかアンティークとなるか・・・それは、腐敗するか、発酵するか、の違い、とも言えるでしょう。
 

 新しくものを買いたくない、断捨離したい、という人は、腐敗するものばかりを頭に描いています。でも、中には発酵するものもある、という意識で、これから物を見ていくと、少しは変わるかもしれませんよ。
 
 


株とアンティーク

 何やら変なタイトルを付けてしまった今回のblogですが、株とアンティーク品というのは、意外と共通点があります。株価と、アンティークのお値段、という点において。
 

 金融商品の中でも、例えば為替は、これは相対的なものです。ある通貨がある通貨に対して上がれば、一方は下がっている、といった具合に、最近の言葉遣いで言えば、必ずどちらかが「勝ち」でどちらかが「負け」の期間があります。
 

 でも株は、すべての株が上がっていたり、すべての株が下がっていたり、ある株だけやたら上がっていたり、と、株式市場全体で底上げや冷え込みがあり、そして抜け駆け的に強いものも現れます。現在はアベノミクスのおかげで日本株は好調です。わずか3年前に500円だった株価が1000円の値を付けている、といったものもあるでしょう。
 

 アンティーク品は、実はこの株と値段が似ています。
 みんなが欲しがっていると、そのものの値段が高くなります。
 そして、欲しがる人がいなくなると、途端に値崩れを起こします。
 ある地域だけで売買されているものが存在します。
 まさに需要と供給、それだけで大半が成り立っている世界です。
 

 株価を分析すれば、そこには理由があるように、アンティーク品の値段にも理由があります。
 
 「人気がある」「みんながほしがる」の要素の中には、そのものが好きだ、ほしい、という純粋な気持ちとは別に、投資目的もあります。アンティーク・ジュエリーや、美術品のマーケットはもうそういった要素抜きにしては語れない時代でもあります。
 

 書を一冊ご紹介。
 

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 これは、なかなか面白い本です。『現代アート経済学』、「現代アート」の経済学ではなく、現代の「アート経済学」、です。アートは経済や政治と密接に関係している、というおはなしで、アートをアンティーク、に入れ替えても当てはまります。
 

 ところで日本の西洋アンティーク業界はそれでは今はどうなのか、というと、業者さんにとっては厳しいことに、つまりコレクターにとっては幸いなことに、全体的にお値段がお安くなっている時代です。
 

 ちょっと前までは、海外に行くともっと安く売られているようなものなのに、日本のアンティークマーケットでは、やはり送料や関税もかかって、このくらいの値段になってしまうのだなあ、と溜息をついていたようなものが、下手をすると本家本元よりも安かったりします。たとえばパリの蚤の市で有名なヴァンヴ、ここにはカフェオレボールだけを扱う業者さんが出ていますが、今や状態のひどい(欠けやシミがある)ものでも最低35ユーロ。でも日本で状態のよいジアンやサルグミンヌのアンティーク・カフェオレボール、探せば4000円くらいで見つかることもあります!
 

 日本では少子高齢化に伴い、これまでコレクションをしていた人たちがそろそろ身辺整理を始めるにあたり、「もう家族の誰もこんなの欲しがらないから、売ってしまいたい」とコレクションを手放す人も出て来ました。ものが市場にだぶついている、とも言えます。実際値段が上がっているときは「もっと上がるだろうから」とコレクターは手放さないので、ものが市場に流通しません。今は比較的ほしいものは「出てくる」時代だと言えます。
 

 10年20年前の、骨董やアンティーク関連の雑誌を見ていますと、そこに記載されている値段は、今の値段よりもはるかに高いものが多く、本当に一部の余裕のある人しか買えなかったようなものが、今では少し無理をすれば手の届く時代になってきているようです。
 

 とはいえ、株も水もの、骨董・アンティーク品も水もの、この先また人気が出て需要が出て、うんと上がることも十分ありえます。今ほしいものがあって、買えそうであれば、それは手に入れるチャンスかもしれません!
 


アンティーク、古物、骨董に興味がない人

 アンティーク好きな人がいるように、「古いもの」に全く興味のない人もいます。むしろ、興味のない人の方が大半かもしれません。そもそも日本人は「お古」があまり好きではなく、真新しいもの、誰も使っていない新品が好きなのです。
 

 格式ある「骨董店」を構えている店主はこんな経験はしなくても済むのでしょうが、日本でアンティークや骨董を扱っている人たちは、その性質上アンティーク・フェア、骨董市、蚤の市といった催事に出店することが多く、そこには実に色々なお客さんが散歩を兼ねてやってきます。
 

 そしてそこでは、とんでもない会話が繰り広げられることがあります。
  

 「これって人が使ったもの?なんだか気持ち悪いわね」(ホテルやレストランの食器やカトラリーも人が使ったものですが。)
 

 「1つしかないの?」(量産品とハンドメードの1点ものの区別が付かない。)
 

 「あら、ここ、なんだか疵がついてるじゃない」(それは銀器の刻印です。)
 

 「このグラス、形がゆがんでない?どうしてこんなに高いの?」(18世紀の宙吹きガラスです。)
 

 「アンティークはねえ、割れるから嫌よねえ」(現行品の食器だって、割れます。)
 

 「今日は何時まで?売れ残ったら、安くしてくれる?」(生鮮食料品ではないので。)
 

 
 「(1万円と表示してあるものに)これ千円だったら買うんだけど。だいたい10分の1で値切れって言うわよ」(ここはアラブ市場文化ではないのです。)
 

 「リサイクル市にしては、高くない?」(ちょっと違うのですが。)
 

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 また逆に、「アンティ−ク」という言葉に過剰な期待を持つ人もいます。
 

 「この紋章はどこの貴族のものか調べられないの?」(それ、ただのイニシャルです。)
 

 「何年に作られたものか、正確にわからない?」(500円の雑貨にそこまで求めますか?)
 

 「こういうものは、今買っておくと将来何百万円にもなる?」(ならないでしょう、20世紀初頭の量産品です。)
 

 「これ、絶対ホンモノよね?ニセモノじゃないわよね?」(3千円のもののニセモノを作る意味があるのでしょうか。)
 

 あまり知識がないからか相場がわからず、1つの値段をセットの値段だと勘違いする人、「あら、今日はガラクタ屋さんがやっているわ」と、古物=ガラクタと決めつける人、「これと同じもの、たくさん家にあるわ、持って来たらこの値段で買い取ってくれない?」と売り込む人、本当にいろいろなお客さんがいます。
 

 アンティーク屋さんも客商売、無知なお客さんを相手にしても仕方がないので、そこは大人の態度で笑ってスルー(心の中では「おとといおいで」と思っていても)、逆に、古物を愛する人や、ものの価値がわかりそうな人には、お客さんと一緒になって骨董談義に花が咲き、結果とてもよい関係になって、ものによっては割り引いたりしてくれます。
 

 アンティーク・コレクターに知識は必要か?と言われれば、これは絶対必要です。自分の中の感性のみで絶対的なプライシング能力を持っている一部の人は別として、ものの値段には必ず理由がありますから。なぜ同じ窯のものでAよりもBの方が綺麗で状態もよさそうなのに、安いのか、そこには品物を見ただけでは分からない、色々な理由が潜んでいます。そんな謎解きをするのもアンティーク・コレクターにとっては醍醐味のひとつ。
 

 ただ、やはりこの世界は非常に特殊でニッチな世界、政治や教育ではないので、日本中の人を納得させる理由も要らないし、それほどの使命もないのかもしれません。興味がある人より、興味のない人の方が圧倒的に多いのが事実ですから。
 


アンティーク・コレクターへの道は、プライシング能力!?

 とても有名なブロガーで、ちきりんさんという人がいます。本名は明かしていないのですが、「ちきりん」のお名前でツイッターもblogも書いていて、本も出版されています。
 

 その最新の著書に「マーケット感覚を身につけよう」というのがあります。
かなり売れ行きもよいようで、新刊本コーナーには必ずありますね。
 
 

「マーケット感覚を身につけよう」

「マーケット感覚を身につけよう」


 

 
 素人向けにも非常にわかりやすく書かれているので、さらさらーっと読めてしまいますが、中でも面白いのが、「プライシング能力を身につけよう」で、プライシング能力とは値段を付けられる人間かどうか、というもの。この世のものの値段と価値のバランスは個人個人が判断するものであって、たとえば定価の3割引のマンションはお得かどうか、という判断は、そのマンションの3割引の値段が自分にとってその値段の価値があるかどうかを見極める能力がなくてはならない、でもこの世のものは定価があるので、そこからどれだけ値引きされたかといった尺度で判断しがちで、それは本当のものの価値ではない。そして、プライシング能力があまり活用されていないのは、そもそもプライシングが必要とされているのが骨董くらいのものだから、と、そんな内容になっていました。
 

 そう、骨董・アンティークこそ、プライシング能力が最も必要とされる世界です。
 

 オークションでも、骨董店でも蚤の市でも、古物マーケットは世界中にあります。そしてここで売られているものは、一般の商品とは全く異なったメカニズムでの値段がついています。つまり、普通の商品のように原材料費があって、仕入れ値があって、それに流通経費を乗せ、利益を計上して値段が付けられているわけではないのです。
 

 古物の場合、ものそのものは「減価償却済み」です。それがゴッホの絵であっても、ルイ14世時代の家具であっても、ガレの壷であっても、ゴッホやアンドレ=シャルル・ブールやガレに一銭も入りませんから。
 

 オークションでは大抵どこでも専門家がエスティメート(推定落札価格)というのを付けています。このくらいで落札されるだろう、という予想ですが、彼らはそれを統計的に、例えば近過去の落札結果などから需要と供給のバランスを予測してつけているわけです。BよりもAの方がエスティメートが高かったとしても、厳密に言えば、Aの方にものとして(作品として)の評価額が高いわけではないのです。AはBより生産量が少なかった、とか、Aのデザインをほしがる人が今は多い、とか、色々な理由がありありますが、AがBよりも「優れた作品である」ということは言えないのです。

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 それでもAが高いから、Aをほしがる、という心理は動きます。そんなとき、自分にとってAは要らない、Bがほしい、たとえBの方が値段が高くてもBがほしい、と言える人というのは、本当に骨董品を買える人です。
 

 お金そのものが相対的なものではありますが、でも自分が使えるお金には限度があるので、その中で計算してプライシングをするしかありません。古物の場合、まずは「ほしい」と心がときめくことが何よりも重要、つぎに、いくらだったらこれを手に入れたいと思うのか、そういう訓練はしていくと身に付きます。相場がいくらだから、いくら以下だったら「買い」というのは、プライシング能力ではないのです。
 

 文章にしているとなかなか難しいですが、このプライシング能力がない人は、コレクターには向いていません。それでもお金が余っている人は、もっと金融市場での投資などをすればよいと思います。
  

 アンティーク・コレクターの条件、これは一にも二にも、プライシング能力を磨くこと。そのためにも、お薦めの一冊です。
 
 


アンティーク・コレクターの条件 〜買える人、買えない人〜

 世の中にはさまざまな条件で人を区別して論じることがあります。甘いものが好きな人と嫌いな人、または犬が好きな人と猫が好きな人、というように。今回はアンティークや骨董品のような、値付のメカニズムが一般商品と異なるものを買える人と買えない人、で論じてみましょう。
 

 この場合の買える、買えない、は資金力ではありません。
もちろん財力は大事で、食べるにも事欠く状況では骨董収集などに余裕はないかもしれません。(とはいえこの世界では、そういう状況でもコレというものを見つけたら、ツケでも買ってしまう、という人は存在します。)
 

 ではアンティークを「買える人」はどんな人でしょう。
まず、自分なりの審美眼とセンスをもっている人。
自分が何が好きで、何を傍に置けば心が豊かになれるのかを知っている人。
・・・この辺りはまあ普通で、何もアンティーク・コレクターだけの条件ではありません。
洋服や装飾品を買うときにも言えることです。
 

 では、こういう条件はどうでしょう。
遊び心が満載な人。
冒険心のある人。
鷹揚な人。騙されても「わーはっは」とおおらかでいられる人。
コスト計算やら損益計算をしない人。
着地点を予め定めている人。
 

 如何でしょうか?
 

 たとえば1万円で売られている、ティーカップ&ソーサー。
モノは19世紀末のリモージュだとします。
金彩は剥がれて、使い込まれた様子ではありますが、チップやカケもなく、プリント柄もよい状態で残っています。100年前の磁器だけあって、ツルツルピカピカではなく、ちょっとくたびれた感じ。モチーフのややくすんだ花柄がいい味を出しています。ハンドル部分が繊細で、カップはそれなりに大きく、お茶をいっぱいまで入れたらちょっと重くてバランスが崩れるかな、という愛嬌ある品。
 
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 これを欲しい、と思ったとして、買える人は「100年前のリモージュですか。なんだかほんわかするカップだね、気に入った。2客セットで買うから、少し負けてくれる?」などと言って、さっさと買ってしまいます。値段交渉はあくまでこの世界の遊び、という感覚で、返って来た答えが「これは奉仕価格で出しているので、すみません、お値段引けないんですよ」と言われても「じゃあ18000円で如何でしょう」と言われても、多分言われた通りに支払います。この種の人の中に、値段交渉が決裂した結果買わない、という人は稀です。
 

 買えない人の心境はこうです。
「100年前って言ってるけど、本当なのかな」
「金彩が剥がれてるし、こういうのは大きな欠陥ではないのだろうか」
「1万円と付けているけど、本当はいくらで仕入れたんだろう」
「こういうのはフランスのリモージュにいけばうんと安く売っているんじゃないだろうか」
「他の店で似たようなものを売っているかもしれないな、比べてみてからでないと」
「買ってすぐ割れたり壊れたりしたら、大損だな、AMEXで支払えればいいんだけど」
「古いものは電子レンジや食洗機に入れられないしなあ」
「人が使っていたものだし、食器はやはり清潔感がないと・・・」
「まあ1万円のカップじゃなくても、お茶は飲めるんだし、なくてもいいか」
 

 つまり、ネガティヴな発想ばかり膨らんでいきます。一見してその品の「何か」には惹かれたに違いないのに、そのセンスよりも、無駄な物は買いません、しっかり調べて納得した上で買います、という理性が強いゆえに、こうして難癖を心の中で付けてしまいます。
 
 こういう人は、買おうと決めてもいないのにとりあえず値段交渉などをしたりして(値段交渉とは、この世界、どこでも買うと決めてからするものですが・・・)、そのくせ自分の中で買う金額がそもそも決まっていないため、いくらに下がろうとやっぱり買わない。挙げ句の果てには「鑑定書って付けてもらえますか?」「もし偽物だった場合、返品は可能ですか?」等と苦笑ものの発言をしたりして、お店の人に嫌われてしまうのです。そもそも19世紀の量産品に鑑定書が付くほどのものかどうか、またこの値段のもので偽物を作る旨味がどこにあるのか?少し考えればわかるはずですが・・・。
 更には買ってしまった後でも「ほんとうによかったんだろうか?値段は妥当だったんだろうか?」とずっと猜疑心に悩まされて、折角気に入ったものを見つけて買ったはずだったのに、心が穏やかではないのです。
 

 西洋アンティークは、和骨董よりは比較的値段のメカニズムがわかりやすいものではありますが(世界中で行われているオークションの結果やカタログレゾネ等で「価格ドットコム」並みの調査は可能)、それでも買おう、と決める瞬間って現代美術を買うような心境と似ているのかもしれません。最終的に決めるのは感性なのですから。
 

 さて、あなたはアンティークが買える人ですか?それとも買えない人?
 


ピュイフォルカ、アール・デコ時代の銀器の王様

 日本人は相変わらずブランド嗜好が根強いですが、それでも広報やマーケティングのストラテジーのせいか、より有名なブランドと、あまり聞かないブランドがあります、クオリティやプライスとは無関係に。
 

 例えばクリスタル・メーカーで言えば、サン・ルイもバカラも本国フランスでは高級クリスタル・メゾン。サン・ルイは優美、バカラは豪華、とどちらも甲乙付け難いメゾンですが、日本での知名度はバカラが圧倒的です。クリスタルの発明はサン・ルイの方がバカラよりも早かったとか、サン・ルイのルイは聖王ルイ(ルイ9世)の名前をルイ15世により賜ったとか、こんな有名な逸話もあまり日本では知られていません。
 

 銀器で言えばクリストフルが圧倒的な知名度を持つ日本ですが、最上級とも言える銀器メーカーのピュイフォルカはあまり知られていません。クリスティーズやサザビーズのオークションではジャン・ピュイフォルカのアール・デコ時代のコーヒーポットやティーポットが、昨今エスティメーション価格より遥かに高い値で落札されていますが、アンティーク好きの人でも知らない人は結構います。(もっともヤフオクでは常にピュイフォルカのカトラリーは出品されていますが・・・。)
 

 実はこのサン・ルイもピュイフォルカも現在はエルメス傘下に入っており、日本でもエルメスで販売されているのです。
 

シャンパン用のタンブラー

シャンパン用のタンブラー


 

タンブラーのソーサー。タンブラーの内部にもこれと同じ紋様が刻まれています。

タンブラーのソーサー。タンブラーの内部にもこれと同じ紋様が刻まれています。

 銀座のエルメス内のシャンパン・バー(2F)では、ピュイフォルカのタンブラーでシャンパンがサービスされます。ピュイフォルカのカトラリーの型もオブジェとして店内に展示されており、他にもアール・デコ時代の復刻バージョンのコーヒーポットやティーポットなどを見る事ができます。
 

 1客10万円近くする純銀製のピュイフォルカのタンブラー、内部の緻密な模様は、シャンパンの泡が均一に立つように計算されて装飾されています。
 

 美術館に入っているものはそうおいそれと触る事ができませんが、触って使ってはじめて良さがわかる装飾工芸品、購入するのは無理でも、たまにはこんな高級バーで手に触れてみるのもよいかもしれませんね!
 


アンティークという言葉の定義

 当協会の正式名称でも使用されています『アンティーク』という言葉ですが、さて、アンティークの定義ってなんでしょうか?
 
 よく一般的に言われているのは、「100年以上前につくられたもの」という時代による括り。 
 
 これにはもちろん根拠があります。
 1934年にアメリカ合衆国で制定された通商関税法に「製造された時点から100年を経過した手工芸品・工芸品・美術品」という文面があり、そしてアンティークには関税がかからないことが明記されています。
 

 そしてこの定義がWTO(世界貿易機関)でも採用されており、加盟国間では、この定義によって100年以上前に作られたものと証明されれば、関税がかからないことになっています。
 もちろん日本もWTOに加盟しています。
 

【WTOの加盟国】
 

 
 
WTO_members_and_observers

 
 この100年の定義は、しかしながらあくまでも関税法という観点からの見方です。通関士や徴税人にとっての定義は100年ですが、一般に語られている『アンティーク』、ヨーロッパの人たちはどのように感じているのでしょう。

 
 2014年現在、100年前と言えば1914年ですが、例えばフランス、前世紀では、1920年くらいまで、すなわちアール・ヌーヴォー期くらいまでを人は『アンティーク』と感覚的に定義づけていたように思いますが、今やそれ以降のアール・デコ期の工芸品も『アンティーク』扱いをしている人たちが多いです。すなわち『アンティーク』とは、現在ではとても製造できないハンドメードの優れた美術工芸品で、芸術的価値のあるもの、という概念が一般的です。
 
art-deco
 
 イギリスでも同じく、昔はヴィクトリアン期のものまでを、大抵『アンティーク』と感じている方が多かったようですが、関税法の定義上でもエドワーディアン期は現在ではれっきとした『アンティーク』、人々の感覚も少しずつ時代と共に移り変わっていきますね。

 
 コンテンポラリーという言葉は、同時代を意味する言葉ですから、50年前の現代アートは、今ではモダン・アートに入って繰り下げ(?)になるように、『アンティーク』の概念も移り変わるものです。でもそれは、時代の括りだけではなく、やはり古くて「価値があるもの」を意味します。

 
 現在大量生産されている工業製品がなんでも100年後に『アンティーク』には入らないように、100年以上前のもの、古いもので、価値のないものは、これから多く出てくるでしょう。

 
 日本で「アンティーク屋さん」と言えば、この辺りが曖昧で、何となく西洋の古い雑貨などを扱っているお店をこう総称しますが、フランスでantiquaire(アンティーク屋さん)と言えば、高級骨董店を意味します。工芸品は必要であれば必ず修復して店に出しますし、来歴、由来のはっきりしたもののみを扱っていて、これがbrocante(ブロカント=古物雑貨屋さん)とは大きな違いです。
 

antiquaire
 
 9月にパリで開かれるアンティーク・ビエンナーレに出店しているantiquaireも、すべてこのカテゴリーの中でも最高級な由緒ある骨董店ばかり。この絢爛豪華なサロンに出店する費用がたしか1ブース辺り10万ユーロ(1400万円)、と聞いたことがありますから…。