渋沢栄一の暮らした大正のお屋敷とフレンチのランチ

AEAOサロン倶楽部・11月の会は渋沢栄一が晩年過ごした邸宅のある、飛鳥山へ。現北区立飛鳥山公園の中にその邸宅の離れとして建てられた晩香廬と青淵文庫が今でも残っています。

まずは王子駅近辺のフレンチ・レストランでちょっと贅沢なランチ&懇親会&ミニ・レクチャー。老舗のレストランですが、その繊細な味、季節の野菜やソースの絶品の美味しさにどのお料理も感激でした。内装もとても凝っていて、アンティークのサロン会場にふさわしい装飾。

美味しいお料理で気分がよくなったところで、目の前の飛鳥山へ。ここへはあすかパークレールというモノレールで2分で山頂まで行けますので、食後の運動を試みる人はゼロ!

公園を歩いて突き進んでいくと、旧渋沢庭園に行き着きます。

なぜ北区に渋沢邸があるのか・・・それは、パリ万博にまで遡ります。パリでの体験から、製紙業が教育やジャーナリズムに不可欠であり経済発展に結びつくと考え、この王子の地に『抄紙会社』を設立、これが現在の王子製紙です。ではなぜ王子なのか?製紙業に不可欠な水と関係していたと言われています。千川上水から取水できて、隅田川を使って運搬できる、まだこの辺りは郊外で工場用地としての余裕があった、等々。

渋沢栄一はこの地に4000坪の土地を購入し、別荘として利用していました。当時本拠地としていた兜町と、故郷・深谷の間にあたる立地のため、頻繁に帰郷する渋沢にとっても便利だったのでしょう。やがて61歳でこの地に本邸を構え、生涯をここで過ごします。

青淵文庫、残念ながら外観は工事準備で覆われていて、内観のみの見学に。今月末で一旦工事のため休館となります。ギリギリ見られてよかったと言うべきでしょうか、でもまた来春には外観もお化粧直しをして見られるようになりそうとのこと。

晩香廬は洋風茶室、渋沢はレセプションルームとして使用していたようです。靴を脱いで見学します。

渋沢資料館では、企画展の「肖像展I」と常設展を見学しましたが、資料と写真だけにも関わらず見応えのある充実した施設でした。この時代に生きた人でこれだけ写真が残っている人もなかなかいないでしょう。

今日は小春日和でお天気ポカポカ、風もなく、とても気持ちのよい日に大人の遠足気分で楽しめたAEAOサロン倶楽部でした。