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2024年公式海外研修:フランスの工芸を巡って~リモージュ&オービュッソンとパリ~Day 1

2024年の公式海外研修がスタートしました。今年はフランスの工芸の代表であるリモージュ磁器とオービュッソンのタピスリーという二大工芸地を訪れる装飾美術・アンティークの研修旅行です。フランスはパリだけでなく田舎が素晴らしいし美味しい、というのを実地で感じることのできる内容、企画者も初めて訪れる地もあってワクワクです。

前回に引き続き、今回も日本発着のツアーを株式会社ユーラシア旅行社さんにお願いしました。おかげでエール・フランスの直行便を早いうちから押さえることができました。

朝6時に羽田空港に集合。前泊組、当日組などみなさん遅れることなく定時に集合。早速出国しますが、出国の列がすでに「最後尾はこちら」の札が出るほどのすごい出国者数にびっくり!!昨年5月の海外研修時も同じこの羽田空港第3ターミナルを出発していますが、当時は10時の集合でも出国ゲートは1つしか開いていなかった事を思えば、コロナが5類に移行後の海外旅行がインバウンドも含めて凄いことになっているのを実感します。

もはや2年も続くウクライナ戦争のおかげでパリまでの直行便の飛行時間、行きは14時間50分、大人しくじっとしているのもなかなかキツイですが幸い行きの飛行機、エコノミーは満席ではなく若干空き席があった様子、ビジネスとプレミアムエコノミーはしっかり埋まっているという現象にも経済の上向き(と格差)を感じました。

ロング・フライトの末にパリに到着、空港で1時間はかかるかと想像していた入国審査とバゲージ・ピックアップが到着のタイミングが良かったのか奇跡的にあっという間に済み、ここから専用バスでホテルへ向かいます。こちらも順調で1時間ほどでオペラ界隈のプチホテルへ到着。ドイツから現地参加の方がロビーで迎えてくださって、みなさんで初の顔合わせとなりました。

このプチホテル、立地は最高に街中なのですが、現在朝食ルームがリニューアル中で朝食はルームサービス(4星なので銀の盆に載ってくるかと思ったらUberスタイル!でも美味しかったです)、そしてプチだけあってエレベーターも最高にプチ、定員2名とありますがスーツケースと一緒に乗ると定員1名、これにはびっくりしました。こういうのも古い建築ならではですね。

初日の夜は自由行動、もう明日にはリモージュへ発ってしまうので1泊だけのホテルですが、お水を買ったり夕食を取ったり、とみなさんそれぞれパリの夜の街へ出かけていきました。

ここはホテルのすぐ近くのビストロ・「Au Petit Riche」、創業1854年ですぐ近くのオークションハウス・オテル・ドルーオーの開館とほぼ同じ年代、19世紀中ごろからアート関係者、オークション関係者らの食堂としてずっとこの界隈のアートの変遷を見守ってきた老舗です。内装もベル・エポック調で、ああパリに来たんだなあ、と実感できるレストラン。 さて、時差もあるし今日は早めに休むことにしましょう。


AEAOサロン倶楽部・3月の会「皇居三の丸尚蔵館でみる明治のラグジュアリー」

3月3日・お雛様の日、今日はAEAOサロン倶楽部で皇居三の丸尚蔵館の展覧会を鑑賞、その後皇居をゆっくりと散策し、遅めのランチはパレス・ホテルでたっぷりのフルコースをいただき、ホテル・アーケードを愉しむというラグジュアリーな大人の女子会となりました。

皇居三の丸尚蔵館は昨年11月に一部リニューアル・オープンし、開館記念展である「皇室のみやびー受け継ぐ美ー」展の第2期が本日まで開催。実はまだ「一部」しかオープンしておらず、全面リニューアル・オープンは2026年の予定です。

なぜリニューアルしているのか…それは所蔵品が増えすぎたので収蔵庫を拡張する必要が出てきたから。元々この博物館はかつて「三の丸尚蔵館」(「皇居」の文字は入っていません)として1993年にオープンしました。1989年昭和天皇の崩御の際、遺族である現上皇さまと香淳皇后により国庫に寄贈された美術品約6000点を展示する施設として作られたのですが、秩父宮妃の遺品、香淳皇后の遺品、高松宮妃の遺品…とどんどん追加収蔵され、収蔵庫に入りきらなくなったというのがリニューアルの理由です。

日本国民が誤解していることに、「皇室は私有財産を持てない」「相続税はかからない」がありますが、実は皇室の方々も私有財産というのものがあり、これらは相続の際には相続税の対象になっています。昭和天皇の崩御の際、国有財産なのか天皇の私物なのか不明なものも数多くあり、相続税の計算上、どこまでが私有財産なのかを定める必要があった、そしてそのときの遺品財産整理で国へ寄贈されたものが三の丸尚蔵館の誕生へとつながります。

2023年、この三の丸尚蔵館の管轄官庁が宮内庁から文化庁へ移った際に「国宝・重要文化財」指定を開始しました。従来宮内庁が管理していた美術品は、文化財保護法による指定の枠外だったのです。本展覧会の第1期ではあらたに指定された「国宝」が出品されていました。

今日は第2期「近代皇室を彩る技と美」、この全4期までの展覧会の中では最も出品数の多い期なのです。日時指定予約制となっており、私たちは11:00-11:30の入場枠。こういう場合、この枠の入場者は11時より早めに来て待つため列となりますので、敢えて11:10に集合とし、場外で簡単なレクチャーを行った後、余裕で11:20ごろに入場しました。

そのおかげかそれほど混んでもおらず、また写真撮影も一部を除いて可能。ゆっくりと明治工芸の超絶技巧から大正天皇の日常品、そして昭和のはじまりのゆかりの品々を鑑賞できました。

ミュージアムショップもまだできていないのですが、場外に仮設の皇居スーベニアショップができており、ここでカードや図録などは販売されていました。

1時間ほどで鑑賞を終え、せっかくの雲ひとつない晴天の中、少し皇居を散策しました。白鳥濠を通って本丸地区の天守台まで、緩やかとはいえ上り坂。ここでカロリーを消費しておかなくては。まだお花見には早い季節ですので、それほど混んでいなかったのも気持ちがよかったです。外国人率がとても高く、十ヶ国語以上の外国語を耳にした気がします。

大手門へ戻り、13時過ぎにパレス・ホテルへ到着。ロビーの装飾も華やかですね。

グランド・キッチンでコース料理をいただきます。どれも美味しく、量もたっぷり。特にデザートのフルーツとサバイヨン / 桃のソルベはボリューミー過ぎてもう何も入らないほど。2時間ほど楽しく会食&懇親をしました。帰り際には東京マラソンの参加者(サポーター?)も現れ始めていました。

地下のアーケードで、ここでしか買えないペストリーショップでのマロンシャンティイを買ったり、カガミクリスタルや真珠専門店のショーウィンドーを覗いたりしながら、帰途につきました。

ご参加のみなさま、有難うございました。4月のサロンは「雑司が谷 旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)と護国寺蚤の市」です。


アンティーク検定講習・2級 <後半の部>

前半に引き続き、後半も三連休の中の土日で第13回アンティーク検定講習・2級が開催されました。後半3日目の講習・1限目は、西洋美術史の続き、バロックから20世紀初頭までを俯瞰していきます。ようやくなじみのある絵画や画家の名前が登場してくる時代になってきました。西洋美術史は社会学や経済学と併せて見ていくととても面白い見方ができるのです。

2限目はモード史。モードというのはフランス語で「流行」のこと、英語で言うところのfashionです。流行を作っていったのは誰だったのか、それはどのような時代にどのようなスタイルで誕生したのか、モード史についてヘンリー8世の衣装からシャネル、ディオールまでを見ていきました。

お昼をはさんで3限目は、アンティークショップ『アンティークス・ヴィオレッタ』の店主でもあり当協会認定アンティーク・スペシャリストでもある青山先生によるショップからの配信で、アンティークジュエリーの歴史を学びます。『アンティークス・ヴィオレッタ』さんでは主にイギリスから仕入れられたアンティーク・ジュエリーが店頭に並んでいます。ジョージ1世からエドゥワード8世に至るまでのイギリスの王室の歴史とともに、身につけたジュエリーを紐解いていきます。

4限目では、アール・ヌーヴォーとアール・デコのジュエリー、そしてコスチューム・ジュエリーについて、こちらは実際の商品を今回はふんだんに見せていただくという贅沢な講習でした。

4日目、5-6限目はアール・ヌーヴォー&アール・デコについて。それぞれどういうムーブメントだったのか、いつ、どこで興った様式で、なぜ廃れたのか、そしていつリヴァイヴァルしたのか、この20世紀の二大様式をまとめてみたところで監修者・岡部先生より「日本における1920−30年代の建築」に関してもお話がありました。

最後の見学は、世界的に認められたアール・デコ建築邸宅である旧朝香宮邸、現東京都庭園美術館の開館40周年記念「旧朝香宮邸を読み解く A to Z」を岡部先生の解説で周りました。あいにくの雨で気温も低かったのですが、みなさんの好奇心の方が強く、傘を刺して茶室や庭の高台へもしっかり歩き、そして邸宅内での装飾品・調度品をじっくり解説をいただきながら鑑賞。

雨のおかげで見学者も少なかったので、いつもは並んで順番待ちをするカフェへも待ち時間ゼロで入れ、無事ディプロマ授与式も終えることができました。

受講者のみなさま、4日間の講習お疲れ様でした。そして修了おめでとうございます。次は1級を目指してぜひこの世界を引き続き堪能していただけますように。


海外研修関連講座:「リモージュの魅力」Vol.2

先月に引き続き、今月のアカデメイアは「リモージュの魅力」第2回でした。前回は19世紀までのお話をしましたが、今回は20世紀のリモージュ。

20世紀の二大様式と言えばアール・ヌーヴォーにアール・デコ。リモージュも敏感に反応します。アール・ヌーヴォー期には流れるような曲線のテーブルウェアが、アール・デコ期にはジェオメトリックで様式化された、シャープなデザインの食器が作られます。

そしてこの時代になると、芸術の他分野(画家、彫刻家、ポスター画家、イラストレーター)で活躍しているアーティストたちも、リモージュの窯とコラボレーションしていきます。エドゥワール・コロンナ、ジョルジュ・ドゥ・フール、ポール・ジューヴ、アントワーヌ・ブールデル、エドゥワール=マルセル・サンドス、ジャン・デュフィ、シュザンヌ・ラリック…

リモージュ生まれのカミーユ・タローというセラミック・アーティストが活躍するのもこの時期。エナメルの絵付けを用いた大胆な花柄紋様のフラワーベースはアイコニック的な作品です。タローといえばジロー、というわけで(!?)リモージュにはアンドレ・ジローという人もいました。André Giraud & Brousseauの作品はニューヨークのMoMAにも所蔵されています。

20世紀後半、戦争で疲弊したリモージュでは多くの窯が廃窯となりました。戦争だけでなく、人々の生活や価値観も大きく変わってしまったのです。もう人は食器で豊かさをマウントすることもないし、何百点ものセルヴィスを買うのは時代遅れになります。それでもリモージュの磁器産業を絶やしてはならない、現代のセンスと共にリモージュも共存していくのだ、という気持ちがあったのでしょう、コンテンポラリー・アーティストであるアルマンやセザールらとコラボをしたり、エルメスと共作したり、話題を作っていきます。

そんな中で「リモージュ・ボックス」が生まれます。もともと18世紀に貴族の間で流行った嗅ぎタバコ入れやドラジェ入れ、つけぼくろ入れといった小箱の文化は19世紀に貴族の消滅と共に廃れてしまいました。それらを復活させよう、として1960年代に生まれたのが、すべて手作りで1点1点作り上げるリモージュ・ボックス。このリモージュ・ボックスには世界中にコレクターがいます。開けてみると、あっと驚くような仕掛けがしてあったり、細かい部分が実に精巧に演出されていたりで、なんとも愛らしい!これは場所を取らないし、可愛いし、滅多に割れたり壊れたりもしないのでコレクションしやすいかと思います。ただ凝ったものはそれなりのお値段ですが。

2回に渡って行いました「リモージュの魅力」は今回で終了です。

3月のアカデメイアは海外研修のためお休みとさせていただきます。

4月から新アカデメイア「読書会:『マンガでわかる「西洋絵画」の見かた 聖書編』第2期」がスタートします。5月には教会見学も入っています。ご受講をお待ちしています。


日本銀行本店内部見学ツアーへ!

AEAOサロン倶楽部・2月の会は日銀内部見学に参加しました。1896年、辰野金吾の設計で竣工した本館は外観だけでも圧巻ですが、その内部に入ったこともある人は限られているでしょう。今日はAEAOサロン倶楽部でこの内部ツアーを企画したところ、申込初日に満席となり、増席した数もあっという間に埋まってしまいました。

受付時間は10分間と限られており、1ヶ月前にすでに日銀側へ伝えてある氏名を身分証でチェックされます。まずは中庭に入り、ここは写真撮影可能エリア。ただ狭いのでパースが取れず全体像が収まりません、(後から説明があったのですが、ここはかつて紙幣を運んでいた場所でもあり、敢えて狭いスペースで四方を囲んで、逃げられないように(!)していたそうです。)

建物内に入ってすぐのエリアでX線検査を受け、まるで航空機に搭乗する並のチェックです。

内部に入ると、まずは10分ほどのビデオで日銀の誕生や日銀のしくみについてのレクチャーを受けます。その後2階(といっても通常の建物とは天井高が違うため、実感としては4階分くらい?)に階段で上がり、歴代の日銀総裁の肖像画のエリアへ。絵画館のような会場で何人かの歴史に残る総裁の説明をしていただきましたが、もうすぐ新1万円札になる渋沢栄一の孫である渋沢敬三の肖像画もありました。この人だけ、他の総裁の肖像画と背景が異なり外の風景なのです。東京大空襲で焼け野原になってしまった東京を敢えて背景に用いて、忘れないようにということだったようです。

本館の模型を見ながら、今どこにいるかを確かめると、ドームの真下に!このドームはかつては窓があり彩光が下まで届くようになっていたようなのですが、関東大震災で焼失し、復旧工事の際に窓が塞がれて飾り窓となったようです。かつてはこのドームの部屋で総裁がお仕事をしていたようですが、舞踏会が開催されていた、と聞いても信じてしまうほどの部屋。残念ながら写真撮影は禁止エリアです。

その後はエレベーターで案内され、創建当初の地下金庫へ。建物の地下の構造がなんとガラス床から覗けるのですが(高所恐怖症の人にはかなり厳しい!)、関東大震災でも倒れなかったこの建物、上部は石とレンガ作りですが基礎工事部分にはすでに当時コンクリートが入っており、さらに近年免震工事を行なって補強しているということで、今この場で地震が起こったとしたら、この場が一番安全なのでは、と思いました。

地下金庫の扉について、イングランド銀行で使用されていたホッブスハート社の扉を輸入、拡張後に使用したのはアメリカ製の金庫扉、やがてそれを元に国産の金庫扉が作られたとのこと。またかつては現金をトロッコに載せて搬送していたため、トロッコレールの跡も残っており、このレールはフランス製。欧米を真似ることから始めてやがて日本独自のスタイルを作り上げていく明治の政策がこんなところにも表れているのですね。

ところで1億円は何キロになるのか、実際にどのくらいのボリュームになるのか、なんてのも体験できるコーナーがありました。1億円は10kgなのですが、10kgの米俵は持てなくても1万円札なら持てそう!?

最後に1階の客溜の空間で写真撮影タイム、コリント様式の柱頭やらステンドクラスやら、アール・デコ調の照明やらかつてのデスクやらを鑑賞したところで正午の拍子木が鳴り、終了。

最後にスタッフさんから裁断されたお札の屑の一部をもらいます。かなり高尚なジグゾーパズルですが、破損したお札は面積が3分の2以上の場合は全額として引換えてもらえますが、5分の2以上、3分の2未満の場合は半額、5分の2未満の場合は残念ながらゴミとなってしまうそうです。

見学後は歩いて10分ほどのカフェ・ル・フォションにてデギュスタシオン・コースのランチをいただき、楽しく懇親しました。今日始めてサロンにご参加された方々も楽しんでいただけたでしょうか。

3月は「皇居三の丸尚蔵館でみる明治のラグジュアリー」です。