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アカデメイア「19世紀 ナポレオン三世の妃ウージェニーのエメラルド~謎に包まれたアンデスの十字架を題材に、エメラルドについて~」

大好評のアカデメイア・ジュエリー講座第4回はエメラルドについて。すでに真珠、ダイヤモンド、カメオとやってきましたが、今日は色石エメラルドに関するお話です。コロンビアのエメラルド・ハンターなんて現代のアクション映画になりそうな題材ですが、さてエメラルドとはどんな宝石で、歴史的にどのようなものが有名なのか・・・謎に迫ります。

まずは、フランス皇后ウージェニーについて。言わずと知れたナポレオン3世の皇后です。ウージェニー皇后はこの第二帝政時代のいわゆるインフルエンサー的な存在、かつて18世紀のマリー・アントワネットのようにモードや宝飾品の発信者でもありました。この女性の生い立ち、そしてナポレオン3世と結婚するまでのストーリーが目黒先生の語りにかかると面白く、声の小説を聞いているよう。それで?それで?と続きにワクワクします。

ウージェニー皇后の肩書きで知られていますが、皇后であったのは結婚した1853年から帝国崩壊の1870年まで。そしてこの崩壊から実に半世紀も彼女は生き続けます。皇后時代の3倍もその後の人生があったわけで、亡命生活とは言ってもヴィクトリア女王に良くしてもらったり、カンヌに別荘を購入したり、と元皇后の暮らしぶりなどにも非常に興味そそそられますが、そろそろ話題のエメラルドへ入りましょう。

今日のお題は「アンデスの十字架」。スペイン王室に由来したエメラルドと言われ、45カラットの一塊で切り出された十字架です。

これを一体いつウージェニー皇后が手にしたか、2種類の仮説が考えられ、1つはヴィクトリア女王の日記から、もう1つはメッテルニヒ夫人の回想録から推察します。

そしてこのアンデスの十字架の所有者の系図を遡っていくとイザベル1世へ辿り着き、現在の所有者であるスペインのベアトリス王女の娘に至るまでに数多くの女王や令嬢、宝飾店カルティエや大富豪鉱山主の妻に渡ったことまで、細かく解説をしていただきました。

これほどまでに多くの女性を魅了したエメラルドという宝石は、そもそもどうやって作られるのか、エメラルドの鉱床の種類、世界のエメラルド産出国の分布などについても学びます。この辺りのお話はさすがG.I.A.G.G.の資格をお持ちの目黒先生ならではの説明、宝石学校並みの知識をこのアカデメイアで披露していただけました!

大航海時代と新大陸発見による新世界・コロンビアのエメラルド、今はエメラルドといえばコロンビア産が有名ですが、かつての旧世界であるエジプト、オーストリアからもエメラルドは産出されており、非常に価値のあるものでした。希少なだけに大切にされてきた歴史的背景があります。そんなお話をいただいた後・・・

お宝といえば沈没船、海に沈んだ財宝の話にはワクワクしますね。沈没船から見つかったエメラルドを散りばめた十字架についても興味深いお話をいただきました。

この講座を後からでもいいから視聴したい!という方、オンデマンドにてのお申し込みも可能です。

次回はいよいよ最終回、シャトレーヌウォッチ、ブレゲの世界へ迫ります!


マラカイトのパリュールの謎とカメオ

アカデメイア「宝飾品 〜肖像画の中にみるジュエリー〜」第3回、肖像画はデジレ・クラリーを取り上げました。デジレと聞いて、ああナポレオンの元婚約者で後にスウェーデン王妃になった人だ、とわかる人は相当の歴史オタクでしょう、日本では一般にほとんど知られていない人物といってもよいと思います(日本語ウィキペディアは作成されていますが)。

デジレ・クラリー

元デジレが所有していたこの美しいマラカイトで作られたパリュールは代々デジレの子孫に受け継がれていった後、1913年からノルディック博物館にて収蔵されています。ところがデジレがこのパリュールを身に着けて描かれている肖像画は今のところ見つかりません。

デジレのパリュール(現ノルディック美術館所蔵)

そもそもマラカイトのパリュールというのは非常に珍しいものです。それが高価だからという理由ではありません。マラカイト自体が宝石の中で特に価値のある石という訳ではなく、むしろ柱などの建材に使われるような素材。当時のヨーロッパの一国の王妃がパリュールを注文しようと思ったら、他にも高価な鉱物は沢山あります。マラカイトのパリュールというのは、宝石業界に長くいらっしゃる目黒佐枝先生も、ナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌのパリュールと、デジレのパリュール、この2つしか見たことがないと仰っています。

ジョゼフィーヌのパリュール

今回の「謎」とは、いったいデジレはこのパリュールを身に着けたことがあったのか否か、もしかしたら自分との婚約破棄をしたナポレオンが結婚した相手ジョゼフィーヌがマラカイトのパリュールを作っていたので、自分も対抗してただ作らせただけではないのか、件のパリュールはスウェーデン王妃になった翌年から10年間くらいの間に製作されており、その時点ではジョゼフィーヌもこの世を去っている、自分はジョゼフィーヌに勝ったのだ、という証として作らせたのでは・・・と色々想像が膨らみます。

マラカイトという鉱物について、カメオやインタリオの歴史も含め、宝石学レクチャーもいつもながらのコンプリートな解説で、あっという間の1時間半でした。カメオも2層だけでなく、8層まで存在するのだとか。今回は4層、5層の作品を見せていただきました。

「人は嘘をつくが、ものは真実を語る」と言われますが、ものの中でも宝石は色々なストーリーが想像されて、更なる好奇心が沸き起こってきますね。

次回はウージェニー皇后とエメラルドについてのお話をいただきます。


フランス王妃マリー・ド・メディシスの冠:サンシー、ル・レジャンを題材に、ダイヤモンドの世界へ

大好評のアカデメイア「宝飾品 ~肖像画の中にみるジュエリー~」第2回はダイヤモンドについてのお話でした。マリー・ド・メディシス、言わずと知れたメディチ家のプリンセスでフランス王アンリ4世の二番目の妃ですが、この戴冠式の肖像画で彼女の王冠に留まっているのが Beau Sancy と呼ばれる35カラット弱のダイヤモンドです。

このダイヤモンドの元の持ち主である当時の収集家ボー・サンシー男爵からアンリ4世が購入したことで「ボー・サンシー」と呼ばれることになるのですが、その後巡り巡って2012年にジュネーブのサザビーズでオークションにかけられ、904万2500スイスフランで落札されました(落札者は匿名の人物)。

ちなみに同じ「サンシー」という名のついている、Le sancy(またはGrand Sancy)というダイヤモンドーこれも同じ収集家ボー・サンシー男爵由来のものですがーこちらはイギリス王、フランス王、ロシアの王子、インドの王子、と所有者が目まぐるしく移転していきますが、現在ルーヴル美術館に収蔵されており公開されています。前述のボー・サンシーよりさらに大きく、55カラット超えです。

そして同じく現在ルーブル美術館に収蔵されている、さらに大きく140カラット超えの「ル・レジャン」、この名の示す通りルイ15世の摂政(=Regent)であるオルレアン公フィリップが購入したことでこう呼ばれています。ルイ15世、ルイ16世、ナポレオン1世、ルイ18世、シャルル10世、ナポレオン3世、ウージェニー皇后と歴代の国王や皇帝が所有してきた来歴の宝飾品です。

やはりダイヤモンドは宝石の中でも単に高価というだけではなく、地位や権力が伴う石として、歴史的にも多くの逸話が残されています。

目黒先生の講座は、この後科学のお勉強へと続きます。ダイヤモンドがどのようにして地球で形成され地表に上がってくるのか、ダイヤモンドの歴史的産地はどこなのか、現在ではどのような方法で産出が試みられているのか、ダイヤモンドはどういったタイプ別に分類されているのか、そんな専門的なお話に、インドの地理に詳しくなってしまいました。

ところで5月にはロンドンでチャールズ3世の戴冠式が予定されていますが、かつて世界最大のダイヤモンドと呼ばれ、最終的にヴィクトリア女王がインドの皇帝も兼ねたことからイギリス王室のものとなったコ・イ・ヌール、これを戴冠式でカミラ王妃が王冠に使用しないことがイギリス王室から発表されたということです。このダイヤモンドの所有権を主張している声はインドのみならずパキスタン、アフガニスタンなどからも上がっており、彼らからすれば「大英帝国に略奪された」ダイヤモンド、さすがにこの時代に堂々と付けられないのでしょうね。

次回はカメオについてのお話です。お申し込みは随時受け付けています。