投稿者「antique-kentei」のアーカイブ

アンティーク・コレクターへの道は、プライシング能力!?

 とても有名なブロガーで、ちきりんさんという人がいます。本名は明かしていないのですが、「ちきりん」のお名前でツイッターもblogも書いていて、本も出版されています。
 

 その最新の著書に「マーケット感覚を身につけよう」というのがあります。
かなり売れ行きもよいようで、新刊本コーナーには必ずありますね。
 
 

「マーケット感覚を身につけよう」

「マーケット感覚を身につけよう」


 

 
 素人向けにも非常にわかりやすく書かれているので、さらさらーっと読めてしまいますが、中でも面白いのが、「プライシング能力を身につけよう」で、プライシング能力とは値段を付けられる人間かどうか、というもの。この世のものの値段と価値のバランスは個人個人が判断するものであって、たとえば定価の3割引のマンションはお得かどうか、という判断は、そのマンションの3割引の値段が自分にとってその値段の価値があるかどうかを見極める能力がなくてはならない、でもこの世のものは定価があるので、そこからどれだけ値引きされたかといった尺度で判断しがちで、それは本当のものの価値ではない。そして、プライシング能力があまり活用されていないのは、そもそもプライシングが必要とされているのが骨董くらいのものだから、と、そんな内容になっていました。
 

 そう、骨董・アンティークこそ、プライシング能力が最も必要とされる世界です。
 

 オークションでも、骨董店でも蚤の市でも、古物マーケットは世界中にあります。そしてここで売られているものは、一般の商品とは全く異なったメカニズムでの値段がついています。つまり、普通の商品のように原材料費があって、仕入れ値があって、それに流通経費を乗せ、利益を計上して値段が付けられているわけではないのです。
 

 古物の場合、ものそのものは「減価償却済み」です。それがゴッホの絵であっても、ルイ14世時代の家具であっても、ガレの壷であっても、ゴッホやアンドレ=シャルル・ブールやガレに一銭も入りませんから。
 

 オークションでは大抵どこでも専門家がエスティメート(推定落札価格)というのを付けています。このくらいで落札されるだろう、という予想ですが、彼らはそれを統計的に、例えば近過去の落札結果などから需要と供給のバランスを予測してつけているわけです。BよりもAの方がエスティメートが高かったとしても、厳密に言えば、Aの方にものとして(作品として)の評価額が高いわけではないのです。AはBより生産量が少なかった、とか、Aのデザインをほしがる人が今は多い、とか、色々な理由がありありますが、AがBよりも「優れた作品である」ということは言えないのです。

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 それでもAが高いから、Aをほしがる、という心理は動きます。そんなとき、自分にとってAは要らない、Bがほしい、たとえBの方が値段が高くてもBがほしい、と言える人というのは、本当に骨董品を買える人です。
 

 お金そのものが相対的なものではありますが、でも自分が使えるお金には限度があるので、その中で計算してプライシングをするしかありません。古物の場合、まずは「ほしい」と心がときめくことが何よりも重要、つぎに、いくらだったらこれを手に入れたいと思うのか、そういう訓練はしていくと身に付きます。相場がいくらだから、いくら以下だったら「買い」というのは、プライシング能力ではないのです。
 

 文章にしているとなかなか難しいですが、このプライシング能力がない人は、コレクターには向いていません。それでもお金が余っている人は、もっと金融市場での投資などをすればよいと思います。
  

 アンティーク・コレクターの条件、これは一にも二にも、プライシング能力を磨くこと。そのためにも、お薦めの一冊です。
 
 

アートフェアに行こう!

 アンティーク検定、今年からスタートするビギナーズ級の3級の科目にはありませんが、2級・1級には「現代時事アンティーク」という科目があります。これは英語でいうArt Marketのこと、つまりアートやアンティークの市場に関してのお話です。
 

 欧米では、美術史の研究者がアート・コレクターとしての第一人者であったり、またアンティーク・ディーラーが大学で教えていたり、と、マーケットと学問の世界はシンクロナイズしているのですが、日本ではなかなか2つの世界が交わることはありません。学問として追求している人は、取引されている値段には無頓着だったり(絶対に身銭を切って買ったりしなかったり)、ディーラーとして品物を回している人は、実はあまり周辺の美術史に造詣が深くなかったり…。お医者さんの世界で言う「研究」と「臨床」はなかなか両方一度にはできないよ、ということでしょうか。
 

 2014年にアンティーク検定2級を受けて合格した人の中にも「現代時事アンティーク」は難しかった、という方が大半でした。各科目の平均点でも、この現代時事アンティークはやはりみなさんの弱点だったようです。「だって教科書がないし、何をどう勉強していいのかわからない」と。
 

 この分野は、グローバルな視点を養う意図もあり、問題の半分は海外の関係者から出題されています。残りの半分は、日本のアートマーケット専門家の方などから出題されていますが、問題に関してはすべて日本語のメディア(新聞、TV,、雑誌)で話題となったものがほとんどですので、普段からちょっとだけアートの世界にアンテナを張っていれば、キャッチできるものなのです。
 

 とはいえ忙しい現代社会、メディアにはあらゆる情報が氾濫していて、何から何まで追えないよ、というのもむべなるかな。そういう場合は、アートフェアに行きましょう!

 

東京アートフェア2015

東京アートフェア2015


 

 
 残念ながら先週末の3日間で終了してしまいましたが、東京国際フォーラム・展示ホールで開催されていたアートフェア東京などは、日本最大の見本市として、やはり規模の点でも勉強になりますし、こういったフェアでは無料の冊子なども沢山設置されていて、手にしてパラパラとめくるだけでも、現代のマーケットの傾向が掴めます。
 

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 例えばこのアートフェア東京で、「東京アートアンティーク」(2015 4/16〜18)というフリー冊子が設置されていました。めくってみるとChristie’sの広告が掲載されています。2015年上半期の東洋美術のオークション日程が書いてあるのですが(香港、ニューヨーク、ロンドン)、日本の浮世絵や新版画のオークションはオンラインで行われるのだな(東京では開催されないのだな)、といったことがわかり、そこからサイトにアクセスして・・・と、知的好奇心が広がります。
 

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Christie'sの広告

Christie’sの広告


 
 

 もしかしたら出題者も同じようなことをしているのかもしれませんよ!?
 

TEFAF、世界最大のアート&アンティークフェアがいよいよスタート!

 日本ではあまり馴染みのないフェアですが、マーストリヒトで世界最大規模のアート&アンティークフェア、TEFAF(The European Fine Art Fair)が本日より開催されます。
 

 実は当協会の公式海外研修でも訪れる予定だったのですが、2015年1月のパリ連続テロにより、パリを含むイル・ド・フランス州においてテロ警戒レベルが最高レベルである「攻撃の警戒(alerte attenta)」に引き上がっていることを受け、次年度に延期することを決定いたしました。残念ですが、TEFAFは毎年行われるサロンですから、是非次回は安全な中で実現したいと思います。
 

 TEFAF公式サイト
 

 今日はこのTEFAFの様子を、ビジュアルでお楽しみください。

 (写真はTEFAFのFacebook Pageより)
 

エントランスホール

エントランスホール


 
 
さっそく賑わっています

さっそく賑わっています


 

いつもゴージャスなセノグラフィです!

いつもゴージャスなセノグラフィです!


 
1週間前の会場

1週間前の会場


 
 
鑑定中?

鑑定中?


 
宝石の鑑定は、本当に眼を酷使します・・

宝石の鑑定は、本当に眼を酷使します・・

 

滅多に他では見られない逸品

滅多に他では見られない逸品


 

準備終了?

準備終了?


 

現代工芸品も

現代工芸品も

 

in situで触れるアンティーク〜旧白洲邸 武相荘の骨董市〜

 in situという言葉があります。語源はラテン語から来ていますが、英語でもフランス語でもin situ、イン・シツと発音します。元の場所に、という意味ですが、古美術業界ではよく使用される言葉です。
 

 美術品や工芸品は、元々の場所、例えば王宮、城、館といった本来あった場所から離してしまうと、それだけで価値が半減する、と言われています。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にある『最後の晩餐』は、in situの状態であるが故に、またシスティナ礼拝堂の『最後の審判』もin situであるが故に、その価値があるのでしょう。
 

 ヨーロッパではときどき、どこかの城主が城の改装費捻出のために(あるいは高額な維持費のために)、城内に元々あった家具調度品をオークションなどで売り払って資金を作る、といったことがあります。その場合、プレヴューと呼ばれる内覧会はin situで、つまり城内で行うことが多いです。人はその調度品をオークションハウスのショールームで見るのではなく、実際に使われていた場、置かれていた場で見ることによって、そのものの価値を評価するのです。
 

 さて、東京都町田市に、武相荘という館があります。
 ここは、白洲次郎・正子夫妻が実際に住んでいた家であり、現在はミュージアムとして一般に解放されていますが、旧居住者が住んでいたままに保存されていますので、そこにある調度品はin situということになります。白洲正子さんは骨董コレクターとしても名高い方でしたので、そのコレクションが逸脱することなく、この館にある限り、in situとしての価値を高めていくのではないでしょうか。

buaiso 

 その武相荘で、第1回骨董市が開催されます。
 

 2015_buaiso_no_kottouichi
 
 日時:2015年3月15日(日)10:00〜17:00
 骨董市HP
 

 白洲正子さん旧蔵の品々も出品されるとのこと。まさにin situでの骨董品、どのようなものが出るのでしょう。
 

 春も近い季節、都会の喧噪を離れて、散策がてら遊びに来てみませんか?
 

 武相荘のHPはこちら
 

アンティーク・コレクターの条件 〜買える人、買えない人〜

 世の中にはさまざまな条件で人を区別して論じることがあります。甘いものが好きな人と嫌いな人、または犬が好きな人と猫が好きな人、というように。今回はアンティークや骨董品のような、値付のメカニズムが一般商品と異なるものを買える人と買えない人、で論じてみましょう。
 

 この場合の買える、買えない、は資金力ではありません。
もちろん財力は大事で、食べるにも事欠く状況では骨董収集などに余裕はないかもしれません。(とはいえこの世界では、そういう状況でもコレというものを見つけたら、ツケでも買ってしまう、という人は存在します。)
 

 ではアンティークを「買える人」はどんな人でしょう。
まず、自分なりの審美眼とセンスをもっている人。
自分が何が好きで、何を傍に置けば心が豊かになれるのかを知っている人。
・・・この辺りはまあ普通で、何もアンティーク・コレクターだけの条件ではありません。
洋服や装飾品を買うときにも言えることです。
 

 では、こういう条件はどうでしょう。
遊び心が満載な人。
冒険心のある人。
鷹揚な人。騙されても「わーはっは」とおおらかでいられる人。
コスト計算やら損益計算をしない人。
着地点を予め定めている人。
 

 如何でしょうか?
 

 たとえば1万円で売られている、ティーカップ&ソーサー。
モノは19世紀末のリモージュだとします。
金彩は剥がれて、使い込まれた様子ではありますが、チップやカケもなく、プリント柄もよい状態で残っています。100年前の磁器だけあって、ツルツルピカピカではなく、ちょっとくたびれた感じ。モチーフのややくすんだ花柄がいい味を出しています。ハンドル部分が繊細で、カップはそれなりに大きく、お茶をいっぱいまで入れたらちょっと重くてバランスが崩れるかな、という愛嬌ある品。
 
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 これを欲しい、と思ったとして、買える人は「100年前のリモージュですか。なんだかほんわかするカップだね、気に入った。2客セットで買うから、少し負けてくれる?」などと言って、さっさと買ってしまいます。値段交渉はあくまでこの世界の遊び、という感覚で、返って来た答えが「これは奉仕価格で出しているので、すみません、お値段引けないんですよ」と言われても「じゃあ18000円で如何でしょう」と言われても、多分言われた通りに支払います。この種の人の中に、値段交渉が決裂した結果買わない、という人は稀です。
 

 買えない人の心境はこうです。
「100年前って言ってるけど、本当なのかな」
「金彩が剥がれてるし、こういうのは大きな欠陥ではないのだろうか」
「1万円と付けているけど、本当はいくらで仕入れたんだろう」
「こういうのはフランスのリモージュにいけばうんと安く売っているんじゃないだろうか」
「他の店で似たようなものを売っているかもしれないな、比べてみてからでないと」
「買ってすぐ割れたり壊れたりしたら、大損だな、AMEXで支払えればいいんだけど」
「古いものは電子レンジや食洗機に入れられないしなあ」
「人が使っていたものだし、食器はやはり清潔感がないと・・・」
「まあ1万円のカップじゃなくても、お茶は飲めるんだし、なくてもいいか」
 

 つまり、ネガティヴな発想ばかり膨らんでいきます。一見してその品の「何か」には惹かれたに違いないのに、そのセンスよりも、無駄な物は買いません、しっかり調べて納得した上で買います、という理性が強いゆえに、こうして難癖を心の中で付けてしまいます。
 
 こういう人は、買おうと決めてもいないのにとりあえず値段交渉などをしたりして(値段交渉とは、この世界、どこでも買うと決めてからするものですが・・・)、そのくせ自分の中で買う金額がそもそも決まっていないため、いくらに下がろうとやっぱり買わない。挙げ句の果てには「鑑定書って付けてもらえますか?」「もし偽物だった場合、返品は可能ですか?」等と苦笑ものの発言をしたりして、お店の人に嫌われてしまうのです。そもそも19世紀の量産品に鑑定書が付くほどのものかどうか、またこの値段のもので偽物を作る旨味がどこにあるのか?少し考えればわかるはずですが・・・。
 更には買ってしまった後でも「ほんとうによかったんだろうか?値段は妥当だったんだろうか?」とずっと猜疑心に悩まされて、折角気に入ったものを見つけて買ったはずだったのに、心が穏やかではないのです。
 

 西洋アンティークは、和骨董よりは比較的値段のメカニズムがわかりやすいものではありますが(世界中で行われているオークションの結果やカタログレゾネ等で「価格ドットコム」並みの調査は可能)、それでも買おう、と決める瞬間って現代美術を買うような心境と似ているのかもしれません。最終的に決めるのは感性なのですから。
 

 さて、あなたはアンティークが買える人ですか?それとも買えない人?