海外研修」カテゴリーアーカイブ

ヴァンスでマティスのロザリオ礼拝堂を訪ねる <DAY6>

今日はオプションで希望者のみ参加するプログラム、まずはニースから45分くらいの街ヴァンスの礼拝堂を訪ねます。一昨年、東京の国立新美術館でも再現展示されていたヴァンスの礼拝堂の実物が見られるとあって、やはり全員参加、オープン時の10時に予約を入れてあったので長蛇の列を横切って一番で入場できました。

全員で一目散に向かったのがマティスの礼拝堂、誰もいない中でしばしの間貸切状態で鑑賞できました。最も美しい光が入るのは冬の朝の11時ごろという事ですので、私たちのいた時間帯もそれなりに素晴らしい光線で礼拝堂が彩られていました。

マティスは戦時中にニースからこのヴァンスへ引っ越し、やがてこの街のドミニコ修道院の礼拝堂の建設に全面的に関わります。そのきっかけとなったのは、一人の修道女。かつてマティスが病気でベッドと椅子の生活になったのを介護してくれた看護師兼マティスのモデルも務めたモニクがドミニコ会の修道女ジャック=マリーとなり、彼女の仲介を受けて無償で協力することとなったのです。マティス自身が生涯の最高傑作と称したこの礼拝堂、2023年に東京の国立新美術館でも再現されていましたが、やはりこの地で現物を見る意義は計り知れませんね。

ここでコルビュジエとアイリーン・グレイの別荘を見に行くという方とはお別れし、残りの人たちはすぐお隣のサン•ポール・ド・ヴァンスへ。ここも「フランスで最も美しい村」の一つとあっていわゆる観光地になっていますが、いつ訪れても絵になる風景ですね。シャガールが眠っているお墓をみて、村をそれぞれ散策し、そして次なるエズ村へと出発します。

エズも夏の観光名所と言った村ですが、この時期はこれからのシーズンに向けてお店を改装中のところもあり、人でごった返すようなこともなくまだまだ半分眠っているような、そんな村でした。ここで軽食を取りつつ、みなさんの心は夜の大イベントの事で占められています。その大イベントとは…(続く)


ヴァロリス、ピカソが愛した陶芸の街へ <DAY5>

エクサン・プロヴァンスを後にし、今夜からはニースに滞在をするのですが、途中でヴァロリス村へ寄ります。この地では宮廷御用達の窯となったムスティエなどとは異なり昔から雑器としての生活陶器を製作していましたが、ピカソがたまたま訪れた際に陶芸にハマり、以降7年にわたって住み着いて陶芸活動に励んだことでヴァロリス焼きそのものもピカソと共に有名になった地です。

そのピカソ美術館をお昼休み前までに訪れます。ピカソが70歳の時に村の人たちからお祝いをしてもらったお返しにシャペルの壁に制作した「戦争と平和」はやはり圧巻、みなさん中に入るとしばし言葉を失い、沈黙。あの「ゲルニカ」ほど有名ではないものの、ピカソの戦争に対する嫌悪と虚しさ、そして平和の尊さ、大切さが伝わってきます。

ピカソ美術館を後にし、ヴァロリスの街のメインストリート(と言っても月曜日でシーズンオフゆえ、閑散としています)沿いのお店を冷やかしながら、ピカソのマドゥーラの窯のアトリエ外観見学へ。この窯が唯一ピカソの作品のリプロダクションの販売をしているのですが、現在は内部がリニューアル中。


ランチは雰囲気をガラッと変えようということで、海沿いのヨットの波止場に面したレストランへ。おそらく夏なら賑わっているというよりごった返していそうなところでしょうが、この季節は人もまばら、太陽と青空を独り占めしているような豊かな気分です。

テラスの席を用意していただいたので、庇をつけてもらって海風と太陽を楽しみながらのランチはヴァカンス風にムール&フリット、フィッシュ&チップス、イカリングフライ、プロヴァンス風サラダ、ボンゴレのリングイーネなどをみなさんでシェアして(フランスで料理をシェアするのは普通はしません…フランス料理はロシア式サービスと言って、前菜の時間、メイン料理の時間、と時間差で頂くのが基本で一人一品のメインを取らないのはご法度、でも今回のような雰囲気のレストランなら無礼講でもいいかと踏んでお伺いしたところ「お好きにしていいわよ」と!)、こういうB級グルメもいいのよねということでたっぷりいただいてニースのホテルへ。今回のホテルは旧グランドホテル、今はアストンホテルという名の4星ホテル、そして待望のバスタブ付きです!

ホテルの立地条件は申し分なく、毎日なんらかの市の立つサレヤ広場にも近いのですが、月曜日はアンティーク市の日です。チェックイン後荷物だけ中に入れて早速アンティーク市へと急ぎ、流れ解散となりました。この日はニースも20℃近くに気温が上がり、半袖短パンの人が街中を闊歩しています。夏時間になって一気に夏モードになってきました。


アンティークの聖地、リル・シュル・ラ・ソルグへ <DAY4>

今日は日曜日、フランス中で土日はアンティーク市が様々なところで開かれています。
エクサン・プロヴァンスから小一時間ほどの距離にある「ソルグ沿いの島」という意味のこのアンティーク村でも常設ショップ以外に毎週日曜日にブロカントが開催されており、今日はこの村へとやってきました。

バスを降りた瞬間、「風が…寒い…」、そう、南フランス独特のミストラルが起こり、気温は15℃でも体感温度は7℃という風の冷たさ、陽は暖かいのに風が冷たいというコントラストの中でしたが、まずはこの可愛らしい村を建築を含め一緒に見学致しました。

午前中は教会の周りにもマルシェが出ていて、ハーブや石鹸、香辛料、オリーブ、とありとあらゆる特産品名産品が出ています。ゆっくりマルシェを冷やかしたいところですが、吹きっさらしの風が若干身体に堪え、風のない入り組んだ路地を歩きながら一通り旧市街を散策したところで川沿いにあるランチのレストランへ。

今日のメニューは日本人向きな、リコッタチーズを入れたイカ墨のラビオリ(真っ黒!)にアサリ添え。アサリは添えのレベルではなくラビオリを覆い隠すようにたっぷりと。デザートはパヴロヴァ。見た目ボリューミーなのですが軽いのと美味しいのでペロリといただいてしまいました。

午後からはフリータイムでアンティーク常設市をそれぞれ周ります。小さな村の中ですから、バラバラに出かけてもどこかで仲間にバッタリ出くわし、戦利品の報告をしつつ、15時過ぎには午前中はミサで入れなかった教会へなんとなく全員が集合。イタリア・バロック色がかなり強烈なこの教会、外観は比較的あっさりなのですが内部装飾はバロック中のバロック、ベリーニ的な装飾がふんだんに施されています。

教会見学をたっぷりしてバスに戻り、エクサンプロヴァンスのホテルへ。

そして今日はアンヌ先生と一緒の最終日、フェアウェルディナー&ディプロマ授与式を兼ねて街中のレストランで夕食を頂きます。3コースディナーにワイン付で、それぞれのチョイスを楽しみました。

アンヌ先生とは今日でお別れです。名残惜しい夜のひと時を一緒に過ごし、さて明日に向けて宿を変わるためパッキングです。


ムスティエ・サント=マリーを訪ねる <DAY3>

今日は一日エクサン・プロヴァンスを離れ、バスで1時間半ほどの距離にある山間の村、ムスティエ・サント=マリーを訪れます。「フランスで最も美しい村」の一つとされているこの村へ向けて朝9時出発、前日がゆったり日でしたので時差も解消された頃でしょうか。

ムスティエと言えばフランスのファイアンス愛好家なら誰もが知っている、17〜18世紀の錫釉陶器の中でもマルセイユと並んで国際評価の付いている窯なのですが、日本では西洋陶磁器は大ブランド磁器(マイセン、ヘレンド、ジノリ…)を好む傾向があり、かつてのフランス宮廷御用達であったこのムスティエ窯を知る人はごくわずかでしょう。

17世紀、まだ磁器の材料カオリンが発見されていなかったフランスでは、磁器研究と並行して白い陶器作りの情熱も持っていました。このムスティエはイタリアのファエンツァから僧侶が住み付き、やがて錫釉陶器の技法が伝えられ、17〜18世紀に錫釉陶器の黄金時代を迎えた村なのです。

その栄光も19世紀になると磁器の生産や産業革命の波にのまれ、やがて窯の炎が消える運命に。そして1920年代になって再びかつての栄光をとり戻し村に活気を、と復興運動が起こりまた錫釉陶器を復活させるのですが、一旦消えた炎を灯す作業は簡単ではなく、かつての技法を解明するところからのリ・スタート、20世紀にはそれでも10を超える窯ができたのですが現在では数軒のみとなっています。

その1つ、ムスティエでのナンバー1とも言われているボンディル窯の店主にお話を聞き、また本来なら3月はまだ閑散期、4月以降に週1回だけ決まった曜日に見学が可能となっているアトリエを特別に無理言って開けていただくという機会に恵まれた今回のプログラム、まずは陶器美術館よりスタートします。

閑散期の今月は土日祝のみオープンしているこの美術館、私たちで貸切状態でした。ムスティエ陶器に特化した可愛らしいこの美術館をアンヌ先生のガイドによりテーマを追って学んでいきます。器形と装飾の特徴、顔料と焼成温度の違い、ムスティエらしさの意匠…当時のムスティエがどれだけの影響を与えたかと言うと、なんと西洋がこぞって真似た中国磁器に「模倣された」くらいなのです!!

貸切状態で見学した後は、3コースのランチ。山間だけにお天気が変わりやすく太陽が出たり隠れたりしていますが、幸い雨は降らないので三方が見渡せる囲まれたテラス、でいただきました。

午後は18世紀のムスティエの邸宅、メゾン・クラピエを見学、都会とはまた異なった田舎の名士の邸宅の様子を案内いただき、ムスティエ陶器のナンバー1のお店、ボンディルで説明を聞きながらのお買い物。その後で他のお店も回りましたが、このムスティエの白さはやはりここがピカイチでした。

しばしのフリータイムでは、急な斜面もある険しい道を頑張って登ってシャペルまで行った勇者から、引き続きお買い物散策をした方などみなさん自由に過ごしていただき、バスでムスティエ村の麓まで降りて、お願いしてあったアトリエへ。

迎えてくださったマダムは「私は職人じゃないから、今日は言葉による説明だけ」と言いつつも生地を捏ねて平にし型に嵌めて、というデモンストレーションを披露し、第1焼成、第2焼成のそれぞれの窯の中を見せてくださり、そして最後の絵付けまでも実演してくださいました。かつて45年間にわたってこの窯を守り続けてきた魂を見たような気がします。

ムスティエ村を後にし、エクサン・プロヴァンスまでバスで戻り、夜はフリータイムとなりました。


エクサン・プロヴァンスの邸宅を巡る日 <DAY2>

昨夜の深夜到着+時差もありますので今日は緩いプログラム。集合は11時でそれまでに各自朝食ビュッフェを済ませます。朝食ビュッフェも4星クラスだけあって、豊富なヴィエノワズリーにパン類、パンケーキやキャロットケーキ、フレッシュなフルーツにハム、卵、チーズ、もちろんどれも美味しいのでつい食べすぎてしまいます。

朝食会場でアンヌ先生と1年ぶりの再会を交わしたリピーター参加者さんたち、はじめましての参加者さん、全員で11時にホテルをスタートし、徒歩で午前の見学地であるオテル・ド・コーモンへ。

ホテルから歩いて10分もかからない距離にあるこの界隈はマザラン地区と呼ばれ17世紀の建築群が立ち並ぶ地区です。いわゆるプロヴァンス・バロックと呼ばれる様式で、その特徴は彫刻が施された木製の重厚な扉、プロヴァンスの建築材である蜂蜜色の石、錬鉄のバルコン装飾、そしてニッシュと呼ばれる壁龕装飾で、この街のあらゆるところでさまざまなニッシュが見られます。

ルイ15世の治世下で建設されたこの館の名前は18世紀後半に所有者だったマルキ・ド・コーモン(Marquis de Caumont)に由来し、18世紀フランスのバロック建築と新古典主義の要素を融合したデザインとなっています。2015年に修復され、美術館および文化施設として現在は使用されており、ちょうど私たちが訪れた日は展覧会と展覧会の狭間期間ゆえ、18世紀の状態に復元された室内装飾を十分に堪能する事ができました。

ミュージアムショップも楽しんだ後はランチのレストランへ。今日のメニューはフリカッセ・ド・ヴォライユ(鶏肉のクリーム煮)にリゾット、フランとショコラの二層のガトー、キャラメルソースにほおずきとグロゼイユ(赤すぐり)添え。レストラン選びも大切な要素なのですが、今回も及第点といえましょう。みなさん完食されていました。

午後はもう一つの邸宅、パヴィヨン・ド・ヴァンドームへ。こちらは1665年、ルイ14世治世下に建設された館です。ルイ・ド・ヴァンドーム公が、愛人である美しい未亡人のために建設したという艶やかなストーリーを裏付けるかのように、ファサードのマスカロンはその愛人の顔が彫られていました。バロック建築に影響を受けた典型的な南仏プロヴァンスの貴族の館で、室内装飾は18世紀の雰囲気を感じさせる調度品や芸術作品が散りばめられています。今回はちょうど20世紀初頭にこの館の持ち主であったHenri Dobler(コレクターであり、自身もマルチアーティスト)の展覧会期間中で、コレクション品から自ら手がけた版画や絵画まで展示されていました。

小さな館と庭を堪能した後、この街の大聖堂を見学してそこでオフィシャルには解散となりました。それぞれ三々五々カリソンやヌガーのお店、ラヴェンダーや石鹸のお店などを周り、エクサン・プロヴァンスの街散策を楽しみつつ自由時間を過ごしました。